エンジニアであり続けるために
何気なくはてぶで読んだ記事で、著名なまつもとゆきひろさんの話がこれまで自分が考えてきたことと一致して感動しました。
限界を迎えたエンジニア
奇しくも私は先月35歳になりました。
大学を卒業して22歳でエンジニア=プログラマーとして就職したときには、30過ぎたらエンジニアをやっていないだろうと考えていました。
同期の中でも明らかに下の方でしたし、今だって優秀な方だとは思えません。
しかし、今もエンジニアを続けています。
これから何を職業とすべきか
私は35歳。生きていくためにまだあと30年は働き続ける必要があります。
30年という年月の中で、多くの職業が食えなくなっていき、新たな職業が生まれていくことでしょう。
多くの職業が自動化され、単純労働や事務作業の人員はどんどん需要がなくなっていくと思います。
このような社会において、仕事が存在し続ける職業は何か。
ひとつはソフトウェアエンジニアだと思うのです。
だから私はエンジニアを続けたいと考えています。
35歳限界説はある
まつもとひろゆきさんがこう言っています。
IT業界には「上流」「下流」という考えがありますが、言葉の印象もあって、「上流」がよく、「下流」がだめだと思われがち。システムを設計する人が偉くて、実際に手を動かすプログラム開発が下賤な仕事というイメージを持っている人は相当数います。下賤な仕事は尊敬されず、単価も低い。日本では、長期間働くほど給与が上がる、年功序列型の給与構造の企業が多く、コストと売上の損益分岐点が35歳辺りにあるため、実態としてこの説が成立するわけです。
――そこで、マネジメント層に引き上げるという発想になるのですね。
そうです。彼らに悪気はないんですよ。今までの下賤な仕事から、より高級な仕事に引き上げてあげるような感覚なのかもしれません(苦笑)。
まさしく私が経験してきたとおりです!
私は30歳の時にマネージャーに昇進しました。
それまでは給料が良いとは言えず、にも関わらずハードな日々を送っていました。
ところが会社から「これまでありがとう。」と言われてマネージャーになったのです。
これまでの地道な貢献が評価されたのだと感じ、非常に嬉しかったです。
給料も3割ほど上がりました。びっくりするほどの違いです。
しかしマネージャーになった私は、いてもいなくても良いようなミーティングと部下との1on1に忙殺され、プログラムを書く機会が激減しました。
1年もプログラミングをやらないと、もはや「もうできない」という自信喪失状態に追いやられます。
私はエンジニア兼マネージャーではなく、ただのマネージャーとなったのです。
エンジニアに戻る方法
まつもとひろゆきさんの言葉です。
――では、受託開発を行う組織に所属しているプログラマーが、35歳を過ぎても活躍する道はないのでしょうか。
そうした組織に所属している場合、35歳を過ぎてもプログラマーとして生き残るには、辞めるというのがほぼ唯一の選択肢でしょう。
私の場合は、降格でしたがw
私は1年ほどマネージャーを務めた後、案件の終了に伴いチームが解散となりました。
その結果、私は現場に戻らねばならなくなったのです。
そこからはリハビリの日々です。
何しろ、もうエンジニアとしてプログラムを書くことはないんだろうとすら思っていたので。
最初は不安でしたが、なんとか元の感覚に戻るころには「こんなものか」という気持ちになりました。
一方で、またマネージャーに再任してしまう怖さを感じ始めました。
後から思うと、多少の学びこそあったものの、マネージャーの日々はあまりにもスキルアップ機会の機会を失う日々だったのです。
30を迎えるエンジニアとして目指したもの
まつもとひろゆきさんはこう言っています。
――開発スキル以外に、持っておくとよいスキルはありますか?
個人的には「プログラマーが技術だけで生きるのは幻想」と思っています。ソフトウェア開発をする際、技術だけが必要とされるケースはすごく少ない。どういうソフトウェアを作れば、ユーザーやクライアントが喜ぶか、本当に求められているものは何かを考えることが大切です。ニーズに合致したプロダクトを作らなければ、マーケットで受け入れられず、ビジネスとして成立しません。
つまり、「人間系」と呼ばれる領域に興味を持たないといけないわけです。「本当にそのソフトウェアは、果たすべきゴールを達成しているのか」とか、「このプロダクトが最も強調すべき点や優先順位は何か」とか。
「私はソフトウェアエンジニアです。マネジメントには興味ありません。技術のことだけをやっていきたいです」で終わるのではなく、人間系の領域に興味を持つ人のほうが、最終的にいいプロダクトを作ることができると思います。
どの職場でも滅茶苦茶スゲー奴ってのがいるものです。
もうなんだか圧倒的に馬力が違うエンジニアってのが絶対にいる。
自分がフィットなら、彼らはポルシェかフェラーリ。エンジンが絶対的に違う。
そういう凄いエンジニアと出会うと、エンジニアなど辞めたくなってしまいます。
実際に「ついていけない」と感じて、エンジニアから企画職などのセカンドキャリアにシフトしていく人は実に多い。
しかし私の場合は、スゲー奴とは味付けの違うエンジニアを目指せばいいのではないか、と考えました。
私は27歳のときに大学院を受験し29歳で卒業しました。
それもビジネス系のちょっとニッチな専門分野でした。
私は思惑通り味付けの違うエンジニアとして評価されるようになり、結果としてマネージャーへ昇進したのです。1年で降格したけどw
35歳を過ぎてもエンジニアであるために
そして私は来年の4月から再び進学します!
いわゆるMBAコースです。国内ですが。
一見矛盾しているようにも思えます。
しかし「40歳を超えてもエンジニアとしてやっていけるのか?」「第一線で若手と競争していけるのか?」と自問自答し続けた結果、やはり味付けの違うエンジニアになるという考えは変わりませんでした。
若手とは競争をしない。補完し合っていく。
これが私が少しでもながくエンジニアで有り続けるために導き出した結論です。
ダメ元で受験したのにミラクルで合格してしまったというのが本音ですw
平凡な大学出身の私が、意識高い系高学歴社会人の集まるビジネススクールでやっていけるのかわかりません。
合格の喜びよりも、ついていけるのかの不安のほうが大きかったほどです。
それでも一歩踏み出したから、合格が得られた。
次はビジネススクール生活に一歩踏み出してみることにします。